追伸1:この中庭に面する回廊もなかなかいいです。
超高層棟の高さの感覚を補完するかのように、回廊はとても低く抑えるよう工夫されています。
前回やってみたいことの一つの低いスケール感がここにあると思う。
追伸2:最近の日経アーキテクチャーに
「50年〜60年代生まれには装飾的な建築を嫌悪する人が少なくないが、そうしたニヒルさ・・・・・」とある。
私は装飾を否定するつもりはないが、装飾それ自体の密度で見せる近代以前の建築をすごいとは思うが、建築のテーマが見つけられなくなったところでやっているものだと思っている。
そこでこんなことを書いてみた。
「装飾」と装飾性は違っている。
装飾性と言ったとき、必要な部材に、必ずしも必要でないのだが、ある意図した方向に感ぜられるような付け足しを始めることを装飾性と呼ぼう。はじめはパネルに必要な単純な目地割りであったものが、粗密なパターンで有意味なダイナミックな壁面を創ることができた。ところが徐々にエスカレートしてやりすぎてしまい、饒舌な繰り返しパターンの「装飾」になってしまたと言う末路まで。最近ここに陥った建築家がいる。
「装飾」は工芸の職人の世界であったり、工業化の世界へと通じている。この表現でない二番煎じの形式が安定した壁面を作る場となることもあると言っておくべきだが。
これに対し「装飾」まで行かないところでかろうじて耐えて、装飾性である表現にとどまって、意図した新しい感じを創ろうと試みているのが伊東豊雄だと思う。松本市民芸術館の均質にならない不規則な水玉模様や、TOD'Sの樹木を模した下から上に向かう、幹から枝への変容のコンクリートの壁柱に、このことを見ることができると思う。
ミースはバルセロナパビリオン設計図面の壁面に、自然石オニックスの模様を書き込んだというのを読んだことがある。近代建築の面の構成を=均質な単純面にならないように、自然石の模様に面の密度を託そうとしたのではないかと思うのです。ここにも新しい模様=装飾性の始まりがあったのだと思えるのです。
0503012
参考hp
聖イグナチオ教会
坂倉建築研究所
清水建設