体験外記 写真による探訪 サヴォア邸
    屋上庭園とは何であったか?
                  1931 設計 ル・コルビュジェ
                      photo by maika 2005.3


撮影機材はニコンFG 24〜85 f 2.8〜4.0 AGFA400 曇天のため色がでていません。フィルムスキャナーで読み込んでいる為もあって、粒状がでてしまってます。でも内部空間が超広角でしっかり広く写し込まれている画像は、なかなか今迄に無いものだと思います。









私たち建築関係者にはお馴染みのサヴォア邸正面(玄関)写真がありません。
そこで解ったのですが、この建物にアプローチして行くと、建物の裏側に向かって行くことになっていることが解ります。撮影者が建築の分野でない為、わざわざ建物から離れて正面を撮ることをしなかったのでした。その為このちぐはぐな立面の構成が解ることになりました。
あの正面北側は長方形のかたまり(建物)が細い柱のピロティによって浮き上がっているという、近代建築の重要なテーマ、浮き上がるように軽い外皮を詠っており、大変重要な立面なのです。アプローチ側南立面はサーバントスペースの外観であり、1階にボリューム持ったものです。平面計画上は車はこちら側から向こう側の玄関を回って、またこちら側に戻ってくる構成になっています。車の計画上平面がこうなっていることは良く解りますし、仕方ないのですが、理念を主張する北立面が、アプローチして行くと見えてくるという構成になっていると思いこんでいたのもですから。


軒天井がコンクリートで(普通はボードで張りぼてとなる。)、先端でコンクリートのまま直角に外壁となっている。















ここではあの有名な近代建築5原則を超えた概念に引きつけられました。。
それは室内と室外との新たな関係=内外一体性が明確に実現されていたのです。

この写真を見ていてまず着目したのは、屋上庭園に向かって天井面から視線がそのまま「すーーっと」外部に解放されていることでした。通常このすーーっと外部に向かう視線を遮るところの、よくある垂れ壁とか、梁型とかがないではありませんか!。外に向かう視線方向には梁が掛けられていますが、その直角方向に外に向かう視線をじゃまする梁がありません。
おまけにこの天井はコンクリートなのか?(普通はボードで張りぼてとなる。)
外への視線方向の梁は見せて、反対方向は逆梁として天井より上に出しているのか?
コンクリート構造初期なのに、こんな工夫がすでにされてしまっていると感嘆したのです。私たち建築設計者が普段悩むところが一気に単純に解答されちゃっています。開く方向には一気に完璧に開くのだと。
現在の日本の建築家達はこれを何とか実現しようと格闘しています。








断面図を入手してみると、逆梁さえないようです。200o厚のスラブだけのようです。信じられない構造です。日本でこれをやったら現在の先端の構造と言えるのですが、ヨーロッパではスラブに柱だけで梁型なしという構成は、住宅では普通のことと聞きました。(地震力についての考え方が全く違うのです。)

各部高さ関係を見て見ます。
この図があっているとしてですが、そんなに高くない寸法になっています。天井高さ2800ですよ。梁下2500です。ドアの高さ1924とか1746ですよ、これは低い!。
体験した人に聴くとやはり全体に低い感じがしたと言っていますね。

この内外の仕切りは超大型のガラス引き戸に託され、気候の良い時には開け放たれるように、開閉のハンドルを見ることができます。上擦り(?)のレールとか、ガラス戸の框とか、内部からは見えないように納められています。この南面はガラスだけになっていて、徹底して開けてやるという意気が見えますね。
これだけの大ガラスですから、外部の抽象空間を内部に呼び込んで、外部との一体感を作っています。それにしても近代初期にこんな大ガラスがあるとは!(高さ2.8m巾4.4m、隣の嵌め殺しは高さ2.8m巾4.6mと思われる。)

また床を見てみると、内部床から外部にフラットに段差無く出て行く構成となっています。(防水性能が大丈夫なのか心配になりますね。写真をよく見ると排水側溝が建具と同方向に走っているようです。)
この国では土足ですから、よけい一体感が出てきていると思うのです。出て行った庭園も壁で囲まれて、内部のような外部が作られています。隣地からの視線から守られた内庭と言うことです。土も入ってきていません。ちょっとの植栽があるだけで、床はペーブされています。抽象的な外部空間がここに成立していると思うのです。
もう一層上がれば同じような外部空間と塔屋がしつらえられています。ここを斜路で回遊しながら、新しい抽象外部空間でのパーティが目論まれたのでしょうか。









また写真を見ますとこの建物の廻りに結構広大な敷地が残されているのに、庭として回遊したりするようにはなっていません。それは様式の時代の庭なのだと言ってしまえばそれまでですが、回遊させることでこの主眼の外観を見せると言うこともあったのではないかと思ってしまうのですが。

それにこれだけの敷地があっても、屋上庭園を主題としたことは都市住居が主題であって、自然と関係する別荘とは、主題が違うということらしいのです。屋上庭園は抽象的な自然とでも言いましょうか、植栽と一体になった庭園ではないのですね。屋上を壁で囲んで上方の空に開放された設定は、1層分持ち上げられたコートハウスの中庭に近い=囲まれた内密な空間であって、土と植栽と言う自然との関係ではないことが解ります。
この新しい「私的で内閉的な」屋上庭園という設定を別荘に来て味わうというのが、施主のサヴォア夫妻には受け入れられなかったのではないか?と想像をたくましくしてしまいます。この建物が1〜2回しか使われずに終わったという噂が流布しているのですから。実際は1940年ナチスによって立ち退きを迫られるまで住んでいたようです。(また竣工直後から雨が漏ってコルビュジェ自身白い箱は最後になったと書かれている。*1)

勿論現在の私たちの感覚から言えば、別荘に行って私的で内閉的な内外一体のコートハウスのような屋上庭園を楽しみ、外部にでて天然自然を満喫すればいいのだという設定は、よく理解できるところです。(と思いますが一般的ではないか。)

こう言う新しい私的で内閉的な=都市屋上庭園を作ろうとしていたと言うことが、サヴォア邸の主題でもあるのだと、今回の写真を見ていて感じ始めたところです。
























私は今まではサボア邸と言えばあの浮き上がった長方形の正面外観しかイメージにありませんでした。
勿論屋上庭園があるのだとか、車を回すようになっているとか、知っていることは知っていました。今回適切な内部の超広角写真を得て、コルビジェの内部空間の在り方を、現在の自分のところから感じることができました。

内外一体性。
コンクリート構造の先進。(ドミノスタイル=柱とスラブだけで、梁はない。)
抽象外部空間。(バラカンの住宅、安藤の住吉の長屋に通じている。)
薄い皮膜の内部空間の成立。(この先進性を日本建築で検証した論考が、*1越後島研一「現代建築の冒険」。70年代後半から、日本の建築家達がこのテーマに原理からの挑戦として描かれている。)


追伸
今回は超メジャーな建築で、しかも実際に見たのではなく、写真による鑑賞でした。
いかがでしたでしょう。なかなか面はゆい、見たいところに手が届かない、写真が届かないという感じもありましたが、大枠の押さえは見えたのではないかと思っています。

屋上庭園と一口に言っていますが、公共の建築に付くもの、私的な住宅に付くものとの違い。
コートハウスという1階にあるものと、2階以上の階に付くものとの違い。
土があって植栽主体の自然郊外庭園と、ペーブが主調の都市的抽象庭園と。
キュビスム建築の抽象空間に連続する外部空間としての屋上抽象庭園。

これらの違いに意味を見いだそうとしてきていること、現在に連綿とつながってくる感じがある思う。
なおフランスの地元の人が建築激写資料室のようなものをやってくれるといいがなーと思うことしきりでした。

                   050413

(断面図はある有名な写真集に付いていたものをCADでトレースし、建物長さが大成ギャラリーの平面図に記入してある21200だとすると、各寸法がこうなったと言うもので、実際の建物を採寸したものではありません。誤差が大いにありますので、あくまで参考です。建築の実務にたずさわる者にとっては寸法が意味を持っていますので参考にやってみました。こんな有名建築にこのような単純な寸法の入った図面がないのはおかしいのです。)









  サヴォア邸の屋上庭園とは何であったのか?
 
これらの写真を見ていて、コルビジェのサヴォア邸での屋上庭園は、それまでもあった共同住宅での屋上庭園(ガウデイとか,自身のユニテ・ダビタシオン1952とか)とは違った意味を担って先進されたと思えました。それはプライバシーが確保された内庭として構想されていることに意味を感じたからです。それは2階に持ち上げられ、一層分の高さの外壁で囲まれ、土を止めたペーブが施されているという物です。この在り方が大地から離れ私的な度合いを高めて行くなかで、外部空間の抽象化が始まっていると感じられたのでした。デザイン様式としても外部空間のキュビズム化であり抽象形態と言うことになりますが、自然を離れて行く外部空間のここからの展開を感じます。

そこで、この始まりは現在への達成を見ることでその出現の意義を評価できることになるのではないか?と思われました。それはこのように文章で書きますと外部抽象空間の始まりを感じさせるのですが、実際のサヴォア邸には多くの要素が試みられていて、(斜路、小さな植栽、3階に渡る2層の庭園、囲みの壁に開口を開けている、拡散する囲みの多様さなど)その抽象度は純化されてはいません。ここから始まった屋上庭園が都市住居として、プライベートな場として、純化して行く時どのような姿になるのか?

こう問いかけた時、住吉の長屋1976に外部空間の抽象化を見ることができるでしょう。
安藤は自然が失われてきているから確保しようとしたと言っていますが、ここには植栽はありません。太陽と風と雨だけがここでの自然なのです。この外部の大気だけが自然なのです。抽象化された自然と言うことでしょうか。

またバラカンの一連の住宅の中庭に自然の抽象化を見るのです。バラカンの住宅にも植栽は局限化されてきており、象徴的な樹木が一本残されています。ここでは囲まれた壁と原色の色彩が抽象化の極北です。

ここで止めても良いのですがもう少し想像力を逞しくしてみると、妹島和世の「森の別荘」1994をあげたくなります。ここに抽象庭園の純化の先端を感じたのです。勿論この別荘の真ん中に取られたアトリエは「限りなく外部に近い(妹島和世)」のですが室内なのです。けれどこのプライバシーの確保された内庭の抽象化はここまで行くと思うのです。これが外部でここには素足がぴったりくる真っ白なタイル貼りで。
もっと適切な作品があるのかもしれませんが、私の視野は狭いのでこれで代弁して貰いました。


サヴォア邸では住宅とはいえゲストルームがあって社交が想定されていると思うのです。ところが近代の家族は核家族化を推進してきて、社交の場を(冠婚葬祭とか)家族の場から社会的な場に移してきました。住宅が私的な場として純化してきていると言うことです。
そこではピロティによって上層に持ち上げる屋上庭園の意味も、内外一体と確保される外部抽象空間とか、これらのことが住宅として現れるときには、家族の場では家族的な関係だけを確保しようとしている、家族の内面性への純化=私性を言おうとしているのではないか、と思われるのでした。
            
                  050414


参考hp
JDN西海岸もの+がたり
ギャラリー大成
ギャラリー大成テキスト
ル・コルビュジエフリー百科事典
愛と哀しみのル・コルビュジエ 市川智子
コルヴィジェの横長の窓



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コルビジェのドミノシステムについて情報が友人から手に入りましたので報告します。

コルビジュジェ財団のあるジャンヌレ邸に行きますと無料で手に入るもので、ペサック住宅のプロジェクトを紹介しています。そこにドミノシステムの超有名パースと、なんと断面詳細図が載っていました。

ドミノシステムはパース図によりますと、柱とスラブで梁が無い構成と表現されています。けれど断面詳細図によりますと、日本では考えられない低い背(せい)の梁によって構成されていることが解りました。
断面図を注視しますと、梁のあいだに中空の板状の床が貼り並べられているという構成になっています。これで梁が無いような構成となるため、フラットなスラブ「下面」が得られます。自由なプラン=梁からの規制を受けずに好きな位置に間仕切り壁を持ってゆけることになります。細かな間仕切りのある小住宅では特に有利なやり方になっています。張りぼての天井を貼るという発想がない時代の作り方、と言うことなのでしょうか?

こんな構造と一体であるようなフラットなスラブ天井は、建築美の構成として、外部に流れでるような内部空間となりうるのですね。ここでのポイントは、シックイで仕上げられた壁と一体の天井仕上げ材と言うことがポイントだと思うのです。日本のように梁が大きいのと、いろんな設備の裏方を天井面に納めるシステムではなかなかやりずらいのですね。(日本でも戦後作られた木造住宅にシックイ天井がありましたが。)

                  050505 mirutake














 これを貸してくれた、かつてヨーロッパで建築設計事務所に勤めていた友人は、自分がやっていた構法は建築法規の解説書に載っている物に似ていると、もう一つ紹介してくれました。4pくらいの鉄筋コンクリートスラブを打ち、下部に穴あき煉瓦造の打込み型枠兼用でスパンにブロックを渡す構成だと言うことです。このような物は現在では使われていませんが、過去に例として掲載した物がそのまま残っているようです。









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