谷口吉生 法隆寺宝物館 

開園初日 行ってきました。





 今日は開館初日ながら行列は見られない。ちょっとびっくり。国宝と言っても人気ナインだ。
 正面に見えてくる。
 なんだこの地味な建築は。もっと白い建物かと思っていたが、全体にグレーで、下部2.5メートル位がこい茶系のグレーだ。この茶系は前面横に見える門(因州池田家黒門)の色かと思う。渋いなー。
 次に前面に池が見えてくる。矩形のおとなしい池だ。正面に御影石のルートがある。この御影の床は例によって真っ平らで目地排水だ。

 アプローチ


 正面

 ファサードは、エントランスホール吹き抜け空間の上部に門型の板が被せてある。谷口お得意の造形だが、空間が両サイドに抜けていて奥行きを感じさせる。「虚の透明性」(注1)の展開かとも思う。実は此れが上部にも抜けている。エントランスホール吹き抜け上部のトップライト(クロスの枠が掛っている。)の帯があり、それが空に抜けている。大きなまとまりと、空間の次への接続をやっていると言うことか。門型の内部が暗くならず、軽快になる。

 正面の格子状のガラスカーテンウォールには、前面にある建物のギリシャローマ古代様式が歪みながらボーッと写り込んでいる。大型な格子戸を模しているようだ。

 正面(左側は飲食施設のテラス)

 ホール内部に入る。単調なカーテンウォールの縦格子が、池の見える下部だけは外されて、大ガラスになっている。ひどく単純(しらっと、なんの想い入れもないように)になされている。格子が床まで下がっているところは、床に飲み込まれる。そうここもひどく単純に床の御影石が下がってくるサッシュの形にくり貫かれている。おまけにとてもシンプルに、何も考えていないかのように=と言うことは相当苦労して70mm位の空調吹き出しのステンレス格子が床にはめ込まれている。床の御影石が点検のためにはずれるようになっているのだが、枠は一切ないのだ。デティールのシンプルがここまで追い込まれている。感嘆。建築の専門のことなんだけど。

 エントランスホール

 ホール(上部踊り場は展示室の出口)

 展示室は谷口お得意の長野東山魁夷館の「床の間」様の形式が、照明コントラスを強くして再現されている。パネルを使った下がり壁。照明の当て方が特異だ。展示物の照明がわざわざ天井からなされているので、器具が全く見えない。天井からやるんだから当たり前なんだけど。
 ガラスケースの場合も、照明は集光の強い器具を天井から(3mくらいか)当てている。ケースがガラス突きつけシール接着止めだけで納められて、余りにシンプルなこともあって、ガラスケースの存在を忘れてしまうほど。一緒に見ていた妻から、今ここで作品を掴めそうだねと言われ、建築家はこういうリアクションを目指しているんだと感激した。
 近代建築の内外等価と言うテーゼを、展示空間と展示物との関係にも展開していることになる。照明器具を天上付けることにしたから、今までだと気になって仕方がなかった、眩しい照明器具が無くなってとてもすっきり。ガラスだけという大変シンプルなケースの納まりとする建築家好みのこだわりが、物のシンプル化と言うよりも、物の透明化につながっていると思う。このことは一般の鑑賞にも展示物が囲われていることを忘れさせ、今にも触ってしまいそうな実在感を与えていると思う。この展示物と鑑賞者との新しい関係を作り出したように思える。感嘆。こういうことは実体験で明確に伝わってくるものと言える。

 展示の白眉は第2室の仏像群だ。
正面から入るとすぐ近くに仏像達が飛び込んでくる。2〜30cm位の仏像が、視線の高さに、正面から横7列、縦4列に1.5m間隔位に並び、群像として迫ってくる。よく見ると内2ヶ所は、実は建物の柱(打ち放しの角柱)が場所をしめている。だからガラスケースの仏像は26体と言うことになる。其のガラスケースが2m位の高さの角柱で、柱のように整然と等間隔に並べられている。展示室は暗く、照明は例によって集光の強い器具で天井から仏像だけが照らされているから、暗がりに仏像だけが等間隔に並んでいて圧倒されるのだ。驚嘆。繰り返しになるが、この展示物と鑑賞者との関係の迫ってくる感じの詰めが非常にうまくいっていると思う。
  (後はこの仏像達の愛らしい感じを鑑賞者が受け止られるのだから、そのことが飛鳥の仏教思想とどうつながるのかを、解りやすく解説できる、仏像鑑賞眼のある解説者の感性の出現が希求されていると言えないだろうか。なおここの仏像達は、貴族が自邸にて拝んでいたものとの解説があった。)

 第2室(パンフよりコピー)

 ショーケースがガラスの柱のように、本物の打ち放し柱と並ぶさまは=そうこのシュチュエーションは、イタリアのテラーニによるダンテウム計画案(1940)の、ガラスの丸柱の林立の場=「天国の間」の谷口流の再創造と思われた。わたくしがテラーニの天国の間のCG映像を見たとき、其の円柱のガラス柱は無垢のガラスなのか、内部が空洞なのか、水でも入れて動きがあるのかと言うところまでは想像した。
 もっとこの続きを谷口は創造した。ガラスの柱は建物を支えているのではなく、そこにはダンテの神曲の文章が示されているのか、はたまたダンテのゆかりのいろんな物がガラス柱に展示されていてもおかしくない、と思えたのではないか。此れを全て柱型でやるのは見え空いてしまう。ありえない。だから柱は二つだが、等間隔に柱型のガラスケースの展示が並ぶことになった。
 

 ここでの展示は建築家によること、照明の暗さも建築家により指示されていることを学芸員から確認した。なお開館日の予定は300人だったが、3時の時点で、3000人におよんでおり、飲食施設の食べ物が不足になっていることを知らされた。本当に静かな雰囲気の展示が目指されているのだった。




 展示が終わると、階段をおりて(蹴込み板部分が格子になっている)、資料室と呼ばれる大きな吹き抜け空間があり、大きな格子窓が南側に取られている。ほとんどがパソコンを各自が勝手に使える解説の場なっている。其の一角に椅子を並べた谷口お得意の息抜きの場が設(しつら)えられているが小さすぎると思った。パソコンに食われて、瞑想の場が減ってしまった。残念。
 その下に飲食施設がある。時代の要請か?外部にテラスが張り出し、金属の軽快な屋根で場を設えている。

 展示室からでた3階

 資料室への階段

 資料室

 飲食施設


 帰りに谷口の親父のやった東京国立博物館東洋館(1968)が見えてくる。ここに縦格子が見える。吉生の法隆寺宝物館の縦格子が父親へのオマージュであることがよく解るし、他の建物にもよく使われる単純過ぎて退屈な縦格子へのこだわりがやっと解ってくる。そして建物に奥行きを与える谷口お得意の矩形の庇状のものも、実は日本建築の示す深い軒庇を現代的にリメイクした、親父が住宅でやっていたものから来ていることがよくわかる。


    追
 正面なのに風除室両側に結構な量の傘立てを置くのは止めて欲しいな。横に置けるスペースがあるのですから。





(注1)虚の透明性  ガラスとか、アクリル板とか、物なのに透明なものがあります。これに対して、何も無いのに、そこにガラスのような透明の膜があるような感じを抱かせる形の作り方を「虚の透明性」とよんでいます。例えばここでは正面に大きく門型の庇を架けまして、先端に柱が何本か掛けてありますと、ここに透明膜(ガラスがはまっていてもいい)がある感じがしますよね。この膜の感じをもっと複雑にして空間を展開して行きます。門型庇が両サイドに抜けていく造りがそうですし、この庇のトップライトがガラスなしで(実際はガラスがはまっているが)、只抜けている造りになっていますね。そして格子のガラス面との二重性も造っていますね。
 またガラスの入っているところも、枠を無くしたり、見えなくして、虚の透明性に近づいている、と言うことではないかと思います。近代建築はこの内外の均質な連続感と言うのを追求してきているのですから。
 あ!ついつい造形の説明をしてしまった。




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