飯田橋ファーストビル

建築の手法の内部で、
        こんなにも一般の人に呼び掛けるビル







     現実感の仮想化と、より直接的な現実感へ


 今回は飯田橋ファーストビルで、エレベーターホールに「見せ場」のように付けられているメインテナンスバルコニーの造りに注目しました。

 それはエレベーターホール床から、滑らかにバルコニー床面に連続してゆき、先端にはパラペットの立ち上がりが全くなく、ごく簡単なステンレスパイプの手摺りになっているために、「身体がとおりぬけて、空中に浮遊してゆく」感覚がすると言うことなのです。このエレベーターホールに立つたびに、いつでも感じることができる。
 ここには身体ごと飛び出して行って良いよと、私達の無意識に語りかけてくる、なにかがあるような気がして仕方がないのです。勿論、物理的にはガラスがあるためにそうはできませんから、意識として飛び出してしまうような、「物の造り方」になっていると言うことのようです。この感覚をバーチャルな浮遊感と言いましょう。


 ここで写真を鑑賞してください。
エレベーターホールからすぐ外に見えるメインテナンスバルコニーに向かって、意識を開放して見てください。



















 廊下の東側も同じようなバルコニーが付いていますが、先端にパラペットの立ち上がりが付いているために、このような感覚にはなりません。

 また北側の「階段室」のカーテンウォールと踊り場の取り付き方を見ますと、カーテンウォールの無目横材と踊り場床との間に67oの隙間があって、ずっと下まで隙間が見通せます。ちょっとクラッときます。ここにはバルコニーがありませんから、視線が真下に向かえますので1階の植栽などが遙か直下に見えて、身体が気持ちよく飛び出す感覚の前に、怖さが先にきてしまいます。下に吸い込まれてくらっとしてしまう感覚と言っても良いでしょう。





 そう、エレベーターホールではバルコニーがあるために「真下は見えず」に、水平方向の空が見えるようになっているため、床や壁から連続的に空に向かって流れ出てゆくるような、身体ごと「気持ちよく」飛び出して行けそうな錯覚(バーチャルな浮遊感)を与えてくれると言うことのようです。それは大きなガラスが内外の区分けを感じさせないこと、外まで連続したスーパーフラットな床の作り方、そして最後に超簡単手すりが空に向かって飛び出して良いと言う「サイン」になっているからだと思うのです。そのためここにある飛び出して良い外部とは「仮想化された現実」と、いえなくもないでしょう。



 この内部床から連続して外部に向かい、遮るものなしにスッと空に向かって飛び出してゆく不思議な浮遊感を与えるこのデザインは、東京国際フォーラム・レンズホール最上階のたまり場で初めて体験しました。簡易な手摺りなので出られれば危険なほどの開放感のあるしつらえだなーと思ったものでした。

 またキーエンス本社ビルの社長室階(「日建設計のデティール」の写真でしか知らないが)では、この開放感を完全に意識して、現在の開拓した最上の開放感のデザイン感覚として創っていると思えました。

 またここの隣のビル=住友不動産飯田橋ビルのエレベーターホールにも、小さなメンテバルコニーが、この不思議な感覚を持って創られていました。ずっとこれらの与える感覚は何なのかと思ってきたのです。それは時代のバーチャルな浮遊感をうまく表しえているデザインと言うことではないかと思い始めました。



 ところでこの浮遊感覚と言うのは、時代の感覚と言われる子供達の自殺や殺人=死を恐れない感覚に繋がっているものがあると思うのです。子供達は無意識に死へ親しく連続してしまっている意識を持ってしまっていると言うことです。
 けれどこのビルのような無意識の感覚をデザインしえるというのは、逆に意識化の始まりということだと思えるのです。無意識な時代の感覚を取り出し得たデザインとは、この無意識を脱出し始める行為だと言うことではないでしょうか。現実的なしがらみが消えてしまって、何処にでも(死へも簡単に)飛び出していけそうな感覚=情報化時代の「現実よりも情報が現実を動かす」バーチャル感覚が、デザインとして対象化され始めたと言うことではないでしょうか。勿論これは子供達の死の問題そのものではありませんが。




 ところで現在を表す時代感覚と言えるものは、このバーチャル感覚とセットになってもう一つあります。
 それはこの浮遊感と反対の現実感覚を希求する意識です。
前記の「階段室」踊り場が手摺り無しに直にガラスカーテンウォールになっていて、直下が見えるデザインであるというのも、高所にいることを明快に示し得ることで、その場の現実感を保証していると言う風に感じるのです。昨今は危ないと言われてしまうが為に、ちゃんと高さを実感できる階段のデザインができなくなってしまったと思っていたのですが。いろんなやり方がまだまだあるのですね。



 そしてこのビルには「現実感覚」に答えるもう一つの場所があります。
それはガラスの箱とおぼしき場をしつらえているところです。1階エレベーターホールがそうですし、6階から上には、事務室にもあるのです。
 セットバックでできた屋上に面する部分に、ガラスの屋根を着けたところです。オフィスビルにこのようなガラスの箱、温室屋根を付けてどうするつもりなのか?と言われているのではないでしょうか。その答えは開放感と言うことにつきず、雨降りのときにガラス屋根に溜まる雨によって、そして吹抜け高さ分のガラス面を流れ落ちる雨を体験させてくれることでした。そう、このガラスの箱は雨(現実感覚)を感じるための装置なのです。ガラス面を流れ落ちる雨は自然の運行がとても身近に、ガラス一枚隔てた「そこ」にあることを感じさせるし、同時に私達を雨から守っている装置がこんなにも簡明な危うくさえ見せられることを、率直に感じさせる造りになっています。これはガラスの箱と言っても、サッシュレスのガラスの箱としえた為に可能となった体験です。
 この雨の体験には歓喜してしまいました。するともっと大雨の時、台風の時の大雨を体験してみたい。凄い待ち遠しい。

 こう言う一般の人に訴えられる現実感覚を保証していこうとする建築に、現在を超えていこうという意欲を感じます。そしてこれを生かすのは、使う側の毎日のこまめなブラインド操作に掛かっていると言うことではあります。


 実はこう言う「現実感を希求する意識」の現れが、凶悪少年犯罪の出自でもあると思うのです。 デザインとは殺人とは違う方法で、建築表現での現実感覚の表出 、時代の無意識を解倣しようとしていると言うことなのだと思うのです。
 私の語りは未だ直感的に言っているだけなのですが、その開放の度合いや深さがどうなっているのかと言うことは、未だ皆目分からない状態です。そして、この建築にとっての現実感というのは、外部になりたい内部という近代建築のテーマのことであることに気付いてきました。それは現実感覚を仮想的にすることと、今よりもっと現実感覚を感じさせること(仮想的なものの現実化)の追いかけっこになっているところが、建築の現在と言うことかと思い始めたところです。
                                 

                             了        000527


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