「せんだいメディアテーク
     内部空間 360°ピックアップ




 自宅に帰ってから、あーでもない、こーでもなと、いろいろに捕らえ直して見ると、やっぱりこれは夢のような建築なんだと、言わざるおえないものが登場したと、そういうことではないかと感じてくるのです。海草のような柱と言うイメージからは遠くなってしまったというのではなく、軽快で透き通るような建築であって欲しいと言う思いが、ここまでこれたと言うこととして。

 薄いスラブ(梁が無くなってしまった。)、軽快な鋼管メッシュ柱でやりきってしまったこと。
思えば思うほど、本当に鋼管だけで立っているのかと言う思いがわき上がってくる。これを前提に、全面をガラスだけで覆う建築の構成が、内部にいても、日当たりのいい外部にいるような感覚を与えてくれる。それは、単に外部的な内部空間と言うことではなく、外部と言う開放的な誰もがふらふらできる公共性が、建物の内部にも、すなわち建物の管理がとても開放的になっていることを感じさせる在り方になっていると言うこと。この道路側の各階のホール的な空間は、ここまで言えると思う。

 鋼管メッシュ柱内部を階段室やエレベーターシャフトとして使いながら、ガラスで囲ったことによって、各フロアが連続で見えるように使っていること。
今までのように扉をあけることなく、連続したビューとしてフロアが見えてきて展開されるのに、不思議な感覚が在ると思う。

 空調ダクトをガラス壁で見えるものとしたこと。
これはわかりずらかった。しっかり一般の人にもその場で解説していけばいいのに。建物のライフラインが隠されているのでなく、視覚化されて明示的に体験できるものになっている。自然光のシャフトとして使うことも同じ意味になっていると思う。(これはしっかり光として確認できなかったが。日没時に見ていると確認できるらしい。)



 これら、あくまで建築としての基本的な成り立ちのコア部分を、今までの耐力壁をガラスに変えてしまったということが=全く新しい建物全体が連続した開放的な在り方にしてしまったところが、すごいと確認できると思う。




  「せんだいメディアテーク コンセプトブック」NTT出版 2000円 読みました。
今まで書いてきたのはあくまで建築としてですが、ここでは器の話だけでなく、うちに盛るものも新しい内容であって欲しいと言う建築家の思いが在るのがよく解ります。このコンペのイメージを建築外の人々が共有してくれて、新しい公共の施設を目指して活動されたのが良く解ります。その理念はすごいものだと思います。蔵書や資料と言うことにとどまらず、「接点としての公共」と言うところに、一般の人が主体的に施設の使い方を変えて行くような関係を作るところまで考えられている。建築として公共性の新しさの探求に見合う、内容の理念がまとめられていると思います。
 これらが理念としてまとめられたと言うことは、実際にはまだまだこれから長い普通の運営が続くのだと言う思いがやってきます。それは利用者が運営の在り方そのものを提示できる主体であることを獲得するところまで突き詰められています。それって公共の施設を使って自己表現できる人と言うことだと思うのです。それは新たな情報の活用から、新たな世界の読み込みを行える人と言うことと思うのです。それってやっぱり相当なオタクのことではないか、そう思えて仕方が無いのですが。またそういう人がでて利用してくれるのなら、それでいいのではないでしょうか?開かれたオタクですかね。
 公共性の理念が、新たに突き詰められた達成があると言うところまできたと言うことと思いました。

                                      010404


 3階図書館 広々としている。


 1階エントランス 夜間(残念ながらイベントようにスクリーンと座席で占領されていました。)

       
資料HP
せんだいメディアテーク 施設案内 http://www.smt.city.sendai.jp/smt/
           催し物案内 http://www.smt.city.sendai.jp/
           建設データ http://www.takahashikogyo.com/15.htm
すずきあきら 建築批評 http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/focus/0102/suzuki/suzuki.html



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