探訪記1
 世界の伊東豊雄 大田区休養村とうぶ 2泊してきました
 全般的なことから  長野新幹線上田駅から、最寄りのマイクロバスで20分くらいでつきました。 同乗者はお年寄りたちがほとんどでした。 建物が見えてくると、「鳥小屋みたいだなー」というのが聞こえてきました。 無理もありません、工場のような「折板」の屋根、 「異常に細い」鉄骨柱がむきだし、 横張りの濃いネズミ色の「鉄板」外壁、 屋根面近くは壁ではなくガラス窓になっており、 屋根材料である「折板」が良く見えるようになっているのです。 でもって軽く、いかにも屋根が浮いて見えます。 そして超簡単な庇だけの素っ気ないエントランス。  これらのデザイン要素は建築の良くわかった「超通」から言わせればスゲー カッコイーという事になっても、一般の人からは鳥小屋(工場)みたいだと言 われてしまうようになっていることを、まずは確認しましょう。  現在建築の先端は、このように、軽くて、薄くて、透明、何も威圧しない、 超近寄りやすいデザインと言うところにきています。以前の重圧、貫禄、威圧 的、石のようにどっしりとした、と言うところからは隔絶の感があります。そ れが鳥小屋なのですが。それは時代が権威の主導ではなく、消費者こそ主体だ と言うことにも関係があると思う。  そしてここにはデザインの事だけではなくって、新しい建築のテーマがある のです。  フロントでは、平面図を出して説明を受ける。3階の階段でここを降りると 、こちら2階にでてくるのですが、ちょっと解りずらいのですが。部屋が「遠 くて」申し訳ないのですが、ご案内しますのでとアドバイスがあった。  ここで全体のプランを説明してしまうと、ブーメランの両端が傾斜地の上と 下にむいて、内側が西向きに置かれている。 上の端からたどっていきますと、まず展望浴場があり、浴室の休息所、それか ら翼の上半分までが洋室の客室です。 真ん中にフロント、事務、厨房、食堂大小、体育館があり、ここまでがブーメ ランの外側に付く廊下になっています。 この食堂と体育館(ピンポンができます)が、透明樹脂(ポリカーボネート) の板で仕切られているだけで、フロア差があるけど(食堂が上)丸見えなのが おもしろいし、気取ったレストランにならないのが好感が持てた。給仕は蝶ネ クタイで決めていたが。  次に中学生用エントランスがあり、そしてここから内庭が良く見える大開口 の内側廊下になって、大浴場、ミニゴルフが置いてあるサンルームや、大教室 とかがあります。 そして下側の翼は下階が和室の客室になっていて、ここの廊下は外側にあり、 ここのカーブした傾斜感が快適。  そしてこのブーメラン型の宿泊施設の大きく囲んでいるキャンプファイヤー もできる中庭があって、その外れが小渓谷が流れ、橋を渡ったところには、テ ニス場、ゲートボール場、サッカー場とがある。この隣接する敷地には、昔か ら牛を飼っている農家がある。  またブーメラン型の上部には、古民家を2棟移設した宿泊施設と、キャンプ 場がある。     位置を感ずる  客室にはいりますと、楕円の内側になりますので、建物の全体が曲がってい るため、建物の端までよく見えるのです。すごく長い建物であることが解りま す。(内側300m、外側360m)列車がカーブをきっている時の、窓から の眺めのような印象です。山の手線の駅舎では端から端まで大体100メートル くらいですので、想像が付くでしょうか。  建物が中庭を囲んでいると言うよりは、できるだけ大きく囲むこと、敷地な りか、道路なりか、あるいは「自然」なりに湾曲させ囲ませたと言う感じがあ ります。それだけ湾曲が、囲みが、大きくて、今までにはない!中庭の囲い方 だと感じさせる。  各客室窓から、列車のような建物が見えます。それは建物の全体の中での自 分の位置が、この窓からのビュー自体によって感じられると言うことなのです。  ある建築家はこのことを自邸に付いてのコメントでこう言っています。人が 休息を取った時などに自分の手や足を眺めるように、居間などから住まいの一 部を眺められることは、自分の全体での位置を知ることであり、身体が「休ま る」感覚を得るのではないか?と。      外側廊下  一番新しさを感じたのは客室への廊下です。  この長くて緩い傾斜とカーブのある廊下を、一番上の展望浴場から、一番下 の和室の客室まで、何度も登り降りするうちにちょっと遠いかなと感じ始める。 が、そこをすぎると、なんだかこの降り具合、曲がり具合が心地好くなって くる。身体と言うことがテーマになっている。  廊下は緩く傾斜しているのだけど、客室の出入り口巾だけ水平になっている。 それがちょっとリズムをくずすのだ。 廊下で出会った少女と母親の会話が聞こえてきた。「何でこうなってるの?」 「敷地に合わせたからしょうがないのよ。」このしょうがないの意識が傾斜に 慣れてくると段々変わってくるのです。  それは廊下は緩い斜面になっているので、歩くにつれて水平方向にスリット 状のあけられた窓の高さが、どんどん変わる。これが降りていく身体感覚のリ ズムを倍加させ、ずんずん沈んで行く感覚として心地好くさせているように思 う。  一番上にある展望温泉から、あるいは食堂から、一番下の客室まで、何回も 行ったり来たり。(L=360m、h=25m)通常のスケールを越えた=長 い距離と緩い傾斜とカーブした廊下を登り降りする。するとこの身体に入って きた心地よい移動の感覚が、いつもの長さを歩いたと言うまとまりを感じ始め る。この感覚が、視覚的に与えられる客室の窓からの列車の車窓のような全体 の眺めと同じように、身体にとっての全体と言う感覚を作っていると言うこと か。  言い換えると、内庭を眺めながら列車がカーブを曲がるような建物のビュー を得られる廊下に限らず、外側に付けられた閉鎖的な廊下であっても、単に廊 下を歩くことで、そのカーブが、その傾斜が、全体の一部にいる自分を、心地 好く身体が感じている。設計者は身体と言う無意識に呼びかけている。  その閉鎖的な廊下の壁、天井、床と、内装がビニールクロス張りや岩綿吸音 板がしっかり貼ってあってある。このことで吹き抜けのところや天井があって も穴開きパンチングの折板の外部(工場)のような開放的な天井とは違って、 空間が抽象的になっているのが心地よく感覚を倍加させる。  それは内装が抽象的になること。抽象化は宇宙的と言ってもいいだろう。未 来の住居の内装は、快適に温度管理された宇宙船の室内のように柔らかく均質 な表情となっているのではないか。そこに緑豊かな田園や山河の背景が展開し ていれば、遠い記憶の懐かしい野山の風景のように感じられ、それは現実であ るはずがないと思えてくる。窓からの景色は風景画をはめ込んだような現実と 言うことか。  またこの長い傾斜した通路は、ひなびた山間に、いく度も増築を重ねた温泉 の、いく段にも重ねられた通路のようにもたとえられると思う。そういう地形 への寄り添いの現代版のリッチさだと感じられてくる。ひなびた温泉宿の外部 通路を内部にして、抽象的=快適なものに反転したと言う感じか。      中庭  このブーメラン型の平面の内側に囲われた結構異常に大きな、中庭がある。 予算がないので、雑草とともにそのまま残した、と言う風情があって、なんか すごい。またその内側に三重くらいの石のサークルが作られている。工事中に 出てきた自然石をそのまま使ったもので、そのラフな使い方、そして雑草にま みれている状態も、最低限の人工にとどめていることには何か感じる。子供達 がキャンプファイヤーのときに座るのだろう。  またサークルをはずれた下の方に無造作に集中して巨石が集められていると ころがあって、宿泊室の窓からよく見える。ここから一時間ばかり登ったとこ ろに湯ノ丸牧場と言うのがあって、そこにもここほどの密度ではないが、巨石 がぽつぽつと点在していて、そこで飼われている牛の食べる塩が点々と乗せら れている。この塩場の光景が(地元に近いところ(上田市)で育った私には) 懐かしく思い出された。そういう土着性も取り入れたのかという気もしますが 、偶然でしょうか?。  そして私の場合は小学生の時でしたが、古く暗い和風の旅館のような小屋か ら、湯ノ丸山に登っていった。それがこのような世界のデザインの建築から、 私の子供達が登っていくことを考えると、隔絶の感がありますね。
「中庭の意味」へ
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